おはようございます。
昨日は、テンポの合わない人に色々、考え方やお金、稼ぎ方、お金持ちとはなんぞや、などをあまり使わないLINEでレクチャーしていたら、ものすごく疲れてしまい、21時に映画を見ながら寝てしまい、朝4時に起きるという暴挙をしてしまいました。
んで。
皆様の反応を見ると、「止揚」についての説明を書かねばなと。
「対立した物事云々」とありますが、私が、高校の時の授業で学んだ「止揚」もただただそれだけです。
なので、ご説明をしようにも、
「対立した物事を、もう一つ大きな視点で見ること」ということで、説明は終わりなのですが、ここでも止揚が使えます。
説明を聞いて、 「理解する」という行為と「理解しない」って行為は、相反するものですよね。
でも、それ、止揚すると「知識を取り入れようとする」という行為という観点では一緒です。
うん。 わかりにくい。 書き直します。
帰納法と演繹法があるのですが、
わかりやすい記事が転がってたので、コピペします。
論理的思考の基本となる「帰納法」と「演繹法(えんえきほう)」は、どちらも複数の事例や事実を組み合わせて結論を導く思考法です。結論に一貫性を持たせるために有効とされています。
この記事では、帰納法と演繹法はそれぞれどのような思考法なのか、具体例をあげて解説します。さらに、帰納法と演繹法を用いる際に陥りやすい注意点についても紹介します。
- 1 帰納法や演繹法に代表される論理的思考とは?
- 2 帰納法とはどのような考え方?
- 3 演繹法とはどのような考え方?
- 4 帰納法と演繹法の違いや関係性をわかりやすく解説
- 5 帰納法と演繹法の注意点
帰納法や演繹法に代表される論理的思考とは?
「論理的思考(ロジカルシンキング)」とは、情報を整理し筋道を立てて考えることです。論理の飛躍や矛盾なく、前提となる事象からの論理的推論によって結論に到達します。
そのため、人に伝わりやすく、自身の考え方の幅も広がるなどのメリットがあります。
この論理的思考の基本となるのが「帰納法」と「演繹法」です。
帰納法とはどのような考え方?
帰納法とは、「複数の物事や事例をならべ、これらの事象に共通する情報・ルールを抽出し、共通項を統合して結論を得る」という考え方です。帰納法の前提となる物事や事例は、過去の経験則や統計学的な側面から用いられる傾向にあります。
これだけでは少し難しいかもしれませんので、帰納法による思考・推論を具体的な例で考えてみましょう。
帰納法の具体例
次のような3つの事例があったとします。
事例1:タイ料理の特集がテレビで流れている
事例2:タイ料理がトレンド入りしている
事例3:有名YouTuberがタイ料理に関する動画をあげている
これらの事例からどのような論理展開ができるでしょうか。各事例に共通する情報・ルールに注目して推論します。
共通する情報の1つは「タイ料理」です。そして、「テレビで流れている」、「トレンド入りしている」、「有名YouTuberが取り上げている」ことからは、注目されている、人気である、といった共通点が浮かび上がります。
これらを総合して導かれる結論は、「タイ料理が注目されている/人気がある」ということでしょう。
このように、複数の物事や事例から共通点を見つけ、これらを統合して結論を導くのが帰納法です。
ポイントはあくまで論理的であること。
たとえば上の3つの例から「タイ料理が注目されている」ことまでは推論できても、「タイ料理をみんなが食べている」かどうかはわかりません。
論理に矛盾や飛躍があると説得力を失ってしまうので、この点には注意が必要です。また、多くの事例があるほど説得力が増すのも帰納法の特徴です。

演繹法とはどのような考え方?
続いて、演繹法について解説します。演繹法は、「複数の事実を足し合わせて結論を出す」考え方です。
演繹法の前提となる物事や事例は、一般論やルールから用いられる傾向にあります。
帰納的な思考では、各事象に共通する情報を抽出し、そこから推論して結論を得ました。これに対して演繹法では、「AならばB」という事実と「BならばC」という事実を足し合わせ、「AならばC」というように結論を得ます。
実際に演繹的な論理展開した具体例を見ていきましょう。
演繹法の具体例
次の2つの事実から、演繹的にどのような論理展開ができるでしょうか。
事実1:電化製品は電気によって動く
事実2:電子レンジは電化製品である
前提となる事実は、この場合いずれも一般論的な情報です。ここから各事象を足し合わせて思考・推論します。
「足し合わせる」という考え方が難しい場合は「関連付ける」ことをイメージするとよいでしょう。
「電化製品は電気で動く」という事実と「電子レンジは電化製品である」という事実を足し合わせる、関連付けて推論すると、「電子レンジは電気で動く」という結論が導かれるはずです。
このように、複数の物事や事例を足し合わせ(関連付け)、結論を導く考え方が演繹法です。
帰納法と演繹法の違いや関係性をわかりやすく解説
帰納法と演繹法のそれぞれの考え方について説明してきましたが、そのうえで、考え方の違いや関係性について見ていきましょう。
帰納法と演繹法の具体例で用いた上の図を比較してみましょう。
帰納法では、各事象からのびる矢印が1つの結論へと向かっていきます。
帰納法のポイントは共通点を抽出することです。複数ある物事や事例から共通する情報・ルールを取り出して、そこから結論へと導く図式です。
これに対して、演繹法の図では矢印が鎖状につながっています。
演繹法のポイントは複数の事実を足し合わせることです。複数の物事や事例を関連付け、そこから結論を導く論理展開です。
帰納法、演繹法が使われる場面にも違いがあります。
帰納法は、前提となる物事や事例の「事実としての質・量」が大切となります。共通点を見つけ出す事象の内容に誤りや偏りがあれば、正しい結論は導かれません。また、前提となる物事や事例の量が多ければ、それだけ精度の高い推論ができます。
このような特性をもつ帰納法は、統計や分析において適しています。
演繹法が前提とする物事や事例は「一般論(ルール)」です。もちろん、前提とする一般論(ルール)に誤りや偏りがあると、正しい結論は導かれないので注意が必要です。
また、演繹法では各事象を関連付けて結論を導くため、それぞれの事象が無理なく関連付けられる内容でなければなりません。各事象を結び付ける筋道を意識することが大切となります。
このような特性をもつ演繹法は、一貫性のある物事において適しています。

このように、帰納法と演繹法は活躍する場面に違いがありますが、帰納法で導かれた結論が演繹法の前提となる一般論に用いられることも多く、両者には密接な関係性があることも押さえておきたいポイントです。
具体的な例で見てみましょう。
事例1:ソクラテスは死んだ
事例2:プラトンは死んだ
事例3:アリストテレスは死んだ
という3つの事例から、帰納的にどのような結論が得られるでしょうか。まず、ソクラテス、プラトン、アリストレスに共通するのは「人」であること。そしていずれの事例でも「死」が共通点となっています。これらを統合して得られる結論は「人は死ぬ」ということになるでしょう。
そしてここで得られた「人は死ぬ」という結論は、一般論(ルール)として、演繹法における前提となります。
たとえば、
事実1:人は死ぬ
事実2:アレクサンドロスは人である
という2つの事実を考えてみます。ここから演繹的に「アレクサンドロスは死ぬ」ということがいえるでしょう。
このように、実際の場面では、帰納法と演繹法を両方用いて論理を進める、ということが多くあります。
帰納法と演繹法の注意点
最後に、帰納法と演繹法の注意点についてです。
まず、いずれも前提となる事実や一般論(ルール)に誤りや偏りがなく、正当性があることが大切です。いずれの思考法でも前提となる情報が正しくなければ、正しい結論を導くことができません。
また、論理の飛躍にも注意が必要です。前提となる事象がもつ情報から導かれることなのか、自身の想定する仮説(結論)への強引な結び付けを行っていないかなど、慎重に進めましょう。
正しい前提と正しい論理展開があってはじめて、説得力のある結論となります。

「帰納法」と「演繹法」は、いずれも複数の物事や事例から結論を導く論理的思考法の1つです。
帰納法は「複数の物事や事象の共通点を抽出して結論を得る」、演繹法は「複数の物事や事象を関連付けて結論を得る」という特徴があります。
前提となる事象の正当性や論理の飛躍・強引な関連付けに注意し、正しい前提と正しい論理展開に留意しましょう。人に伝えやすく説得力のある結論を得ることができ、自身の思考の幅を広げるのにも役立ちます。
両者の違いをよく理解し、適切に使いこなせるとビジネスシーンにおいても強みになるでしょう。
うん。 僕的にはわかりやすい。
でも、まだまだわかりにくい。
ここまできたら、テーゼとアンチテーゼとジンテーゼまで。
べんしょうほう【弁証法】《dialectic》
自己の内にある矛盾をみずからの発展によってなくして、あたらしく統合された統一に到達する理論。
ヘーゲルの弁証法について
ヘーゲルの弁証法を構成するものは、ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する、もしくはそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反対命題)、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。
全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。
最後には二つがアウフヘーベン(aufheben, 止揚,揚棄)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかし、アウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。
ヘーゲルの弁証法は、ソクラテスの対話と同じように、暗黙的な矛盾を明確にすることで発展させていく。
これなんですけど、ピンと来ます?
ピンと来るなら。 それですw
ピンと来ないなら↓
MacintoshとWindowsって違うもんじゃないですか?
相反するものです。
Apple社はMacintoshはパソコンじゃないって言ってますけど、MacintoshもWindowsもどちらもコンピューターじゃないですか。
これはわかりますよね? (昨日のテンポ合わない人は、こういう説明が通じなかったw)
要は AとBは相反するものですが、それをCという一段階、大きな視点で見るってことを止揚するとしています。
この止揚ってのを、あるビジネスでセミナー講師としてお呼ばれした時に、白板にさっと書いてご説明したのですが、この時の反応の悪さは今でも覚えていますw (その時に井上さんもセミナー講師でおられました)
みんな、ポカ〜んとしてて、「いやw 簡単だろw 止揚しろよw」 と思ったのですが、それがわからないから、みんな、問題を問題としてしまうんですね。
↑ それが如実にわかったので、それ以降、止揚というものを物凄く大事な考えなのですが、あまり人には説明しないでおきました。
だって、理解できない概念を説明したとしても、してないとしても、止揚という考えは存在するので😂
「数字を使うと、途端にわからなくなる」という方がおられます。
それ、止揚できてないだけです✋
1000000000000000000という数、
と
1000という数があったとします。
その二つを使って説明されるとする。
良く考えてみてください。 ちょっと、待ちます。
物事を理解しない人は、1000000000000000000という数を、バカ正直に、いちじゅうひゃくせんマンと、「真剣に理解しようとして、」数えます。
今、私は、 1000000000000000000という数を、書いた本人なのに、幾らか知らないのに、読もうとする人は、いち、じゅう、ひゃく、せん、マン、ジューまん、ヒャクマンと数えてしまいます。
「どうでもいいんですw」 要は2000bitではない。
1000000000000000000
に対比して
1000という数があるなら、
あ〜、 何百万分の1ね。 で、その対比がなんなの?
続きは?
ってとこだけを理解すればいいんです。
要は、止揚というのは、2000bitの集約とも言えます。
なので、例えば、案件を説明していて、途中までわかってたのに、数字が出てきた瞬間に、???となってしまうのは、わからなくてもいい場所を理解しようとして、空中分解してしまうんです。
なんと、もったいない事か。
99パーセント理解しているくせに、どうでもいい1%がわからないから、全体をわかってないんだと、素敵ではない勘違いをしてしまう。
なんと、もったいない事だ。
なんなら、事細かに理解する必要すらなくって、「Showgoが説明してる」という事実を
「あい、わかった、善きにはからえw」 程度で理解すればいいんです。

↑ これをセミナー講師で止揚をさらっと説明した時に、ポカーンとされた面々を見て、私は、止揚して、
「理解する人」と「理解していない人」 どうでもいい。
止揚という考えは存在するし、私は説明をしたという事実も存在する。
としたんです。
どうせ、その場にいた人が、数年後の今に、私が止揚を説明したって事を覚えてる人もいないってのが真実なので。
難しくなってきました?
どうでもいいんですよ。
大事なのは、「止揚」って考えがあるんだ。
それを説明したのね。
で、事細かに理解しなくてもいいのね。
で、言いたい事はなに?
↑これだけで良いんです。
携帯電話を皆さん、使ってますけど、電子回路がどーたらこーたらで、電波がどーたらこーたらで、私が話している声は声帯を通して、空気を振動させ、ウンタラカンタラって理解しなくてもいいじゃないですか。
使えるんだから。
理解できない物事を、全て、理解する必要なんて、全くないんです。
難しく考えすぎてるだけ。
理解力がない人って、総じて、それだけです。
本当は理解してるのに、理解力がある人が考えもしないところを、理解しようとしてるだけです。
この文章を読んでも、「ムズカシイ。。」と思う人、問題を問題としすぎです。
要は、止揚というものを説明すると、
「対立した物事云々」とありますが、私が、高校の時の授業で学んだ「止揚」もただただそれだけです。
↑これだけでいいんです。
なんなら、↑の文言だけで、説明を終わっても良いです。
私は、高校の時の倫理の授業で学んだ「止揚」を一生、使っていっていますが、同じ授業を受けた人たちの99%以上が、そんなもん、「倫理の授業なんてあったっけ?」レベルで忘れてます。
その時の私には、「止揚」という考えが、異様に面白く、
え?? どういうこと??
意味を掘り下げて考えよう。
と学究心をすこぶる刺激し、倫理から、哲学へ、哲学から犯罪心理学へ、犯罪心理学の権威ってスタンフォードなんだ、アメリカの大学行きてぇ。 って何かのきっかけになっただけです。
一方では、「倫理の授業なんてあったっけ?」って人もいるし、一方では、「止揚? めちゃくちゃおもしれぇ」 という人もいるのですが、
止揚 って考えは、結局、存在します。
話が脱線したように思えますが、実は、止揚すると、脱線してもいません。
理解できる人も、理解しない人も、「説明を聞いた人」ですから。
伝わります?
伝わらなくてもいいんですw
止揚って考えは、存在するのでw
それよりも大事なのは、皆さんがここまで、長ったらしい文章を読み切ったという事実です。
この止揚って考えを、取り入れなくてもいい。
思いっきり掘り下げて、高校の時に授業を受けて、???と思い、30年くらい後に、仕様を自分なりにブログに書いてもいい。
ただそれだけです。
でも。 (でも。か〜。 逆説か〜。)
後者の方が、論理的に思考するという脳力は上がります。
(上での説明文でも、ビジネスシーンに強みになるとあります。 要点は←だけでいいんです)
止揚というものを説明するだけで、問題を問題としない方法が身に付きます。
止揚というものは、
「対立した物事云々」とありますが、私が、高校の時の授業で学んだ「止揚」もただただそれだけです。
ただ、それだけです。
この止揚を重ね、昇華しまくると、一つの結論に辿り着きます。
かの高明なバカボンのパパが良く仰る言葉です。
どんな言葉かというと、
2016年の6月13日に書いた文章で、締めます。
↓
「バカボン」
刃を研ぎ終わり、英気を養いました。
面白いことに気づきました。
できる限りオンの時の事を考えないようにしていたのですが、入ってくる情報全てをどのようにアウトプットするのかを常に考えている自分がいました。
朝日を見てから、息子とジュウオウジャーのショーを見て、家族と食事をして、夜寝るまで、ずっと考えているんです。 そして、それが心地よい。
朝日を見てからです。
その時に思い出しました。 バカボンをw
意外に知られていないのですが、梵語で「バカボン」ってバカでもなんでもなく、「悟りを開いた人」という意味の尊敬に値する人になります。
意外です。
おもしろい。
思い出してみてください。
「西から昇ったお日様が🎵 東にしず〜む〜🎶」
ご存知の通り、太陽は東から昇るというのが真実です。
仮に西から太陽が昇ったら、、、天変地異もいいところです。
月は毎年2センチほどずつ地球から遠去かっており、10億年くらい後には地球の引力圏から外れてしまうという。月という重しがなくなると、地球の歳差運動はさらに激しく、不安定になり、最悪上下が逆さまになるかもしれない。そうなれば、西から昇ったお日様が東に沈む、ということになる。
それくらいの出来事が、あの有名すぎる歌には事実として起こっているわけです笑
そして、悟りを開いたバカボンは、、、天上天下唯我独尊と言ったかどうだかわからない釈迦と同じように、天と地を指差しながら、
究極の一言を言うわけです。
どんだけ深いんだ。。。。バカボン。。。。。
さすがに悟りを開いた人が言う言葉です。 凡人には理解しがたい。
止揚しまくっているんだろう。。。
↓ 相反する事象を止揚しまくり、天変地異さえものともせず、問題を問題としない究極の一言とは、、、
↓

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